酒井家十六代目当主酒井 弥惣(さかい やそう)は、1864年(元治元年)赤湯村に生まれました。1887年(明治20年)に赤湯鳥上坂にぶどう園を開墾。1892年(明治25年)弥惣27歳の時、ぶどう酒醸造業に着手します。帝国大学農科大学の古在 由直(こざい よしなお)先生に教えを乞いますが、その当時の味覚に合わず見よう見まねの独学でぶどう酒醸造をしていたようです。1908年(明治41年)から1924年(大正13年)まで赤湯町長を務め、その間の仕事を「記憶のまま」「返り見る老後」などの自伝に残しています。
ぶどう酒醸造業として三代目となる又平は、大変な苦労の中でワイン造りを行っていました。戦争中は女手や年寄りなどの手で、そして戦後は日本酒ブームの中、細々と家業を続けていました。それでもワインは必ず売れる時代が来ると信じていたそうです。
その後、四代目又平に後継されると、ようやく時代はワインへと移り変わっていきます。そして2004年(平成16年)酒井家二十代目当主、ワイナリーとしては五代目となる酒井一平に代替わりし、現在に至ります。
順境不誇、悲境不屈、これは我が家の代々の家訓ですが、驕ることなく屈することなく、今出来ることを精一杯励んで参ります。どうぞ末永くご愛飲いただけますようお願い申し上げます。
1892年(明治25年)にぶどう酒醸造業を始めたいきさつを物語る文書が酒井弥惣自身の手で書きとめられております。右の写真は1936年(昭和11年)弥惣73歳のとき、明治中頃に赤湯町長として在職していた当時の赤湯の様子とともに、苦労してぶどうを栽培し、ワインを造ろうとした経緯が書かれています。なんとも面白く、思わず映画の一場面のように目に浮かんでくる気がします。
こちらは、明治35年(1902年)頃の仙台税務管理局長宛ての混成酒造免許申請書関係書類です。このように、酒井弥惣は当時赤湯町長という役職柄、ていねいに明治の足跡を多く残しています。今ではとても貴重な文献です。
会社名 | 有限会社 酒井ワイナリー |
創業 | 明治25年 |
代表取締役 | 酒井 一平 |
所在地 | 山形県南陽市赤湯980 |
営業時間 |
平 日13:00〜16:00、土・日10:00〜16:00(12:00〜13:00除く) |
定休日 | 水曜日(他不定休あり) ※HPからのご注文は年中無休・24時間受付しておりますが、定休日はメール返信、 発送業務はお休みさせて戴いております。 翌営業日より順次対応させていただきますので、ご了承ください。 |
事業内容 | ワイン製造販売 |
電 話 | 0238-43-2043 |
FAX | 0238-40-3184 |
取扱店 | 全国の取扱店はこちらに掲載しています。(ブログサイトへ飛びます) |